A story about a hanger

(sorry, written in Japanese only)

贔屓のセレクトショップが自由が丘にあった。

私と同じく靴が好きで、IT業界で働いていた経験もあるオーナー店長は、アパレルが好きで、脱サラして小売りの世界に飛び込んだのだ、と聞いた。スーツも、ブラウスも、ニットも、カットソーも何枚もそこで買った。

今、その店は無い。

テナントとして入居していたビルが取り壊しになり、再開発で大きなモールができることになり、立ち退きにあった。彼の店がなくなることを、浮き浮きと夏用のブラウスのデザインと生地を選んでいる最中に、辛そうに打ち明けられた。

会社を辞めて始めた自分の店を失い、かと言って新たな店を出す程の投資を打つ余力も無く、彼は途方に暮れていた。

しかし、ここから、事態は急展開する。

彼の店の取引先だったニットメーカーから、新しい魅力的な仕事のオファーがあったのだそうだ。卸一本槍で来ていたその会社が、初めての直営店を出すので、ショップの立ち上げ、ニット以外の商品のセレクトや買い付け、接客、店のマネジメント全般を任せたい、と。彼の仕事ぶりを、きっと高く評価していたのだろう。

最初の彼の店の閉店から、わずか数ヶ月後には、立派なオープン案内ハガキをいただいた。恐る恐る、訪ねてみたら、前よりも広いし、立地も客層も違う。最初は遠慮しながら立ち寄っていたが、彼は、馴染みのあるお客の顔を見ると、いつも喜んで、前の店で買ったものや、私の気に入っている靴もよく覚えていて、季節が変わるたびに私に服を見立ててくれるようになった。

そして、新しい店ができてから1年が過ぎた頃。

彼のおすすめで、半年前のバイイング時期から予約を入れていたジャケットを取りに行ったら、「もしよかったら」と、一本のハンガーを袋に入れてくれた。

何も言われなくても、見ただけで、私には、それが何だか分かった。彼が初めて自分で作ったお店で使っていたハンガーだったのだ。

お店ができる前から、丁寧にその立ち上げの様子をブログに綴り、細かい備品の一つ一つまで、考え抜いていたことも、閉店するときに、壁紙の一部まで切り取って持ち帰り、大事にしていることも、私は知っていた。その主役とも言える商品をかけていたハンガーともなれば、彼にとっては、自分の分身のようなものに違いない。

「こんな大事なもの、貰う訳にはいかない」と遠慮したら、「いや、ぜひ貰って欲しい」と彼は言う。

自分が、前の店を畳まなければいけないことになった時、正直言って目の前が真っ暗になった。清水の舞台から飛び降りる覚悟で勤めを辞めたのに、これからどうなるんだろう、と不安で一杯だったし、贔屓にしてくれるお客さんに店がなくなることを伝えなければいけないのが、苦しかった。だけど、Tomomiさんに閉店を伝えたら、自分の家族や知り合いのリスクテイキングなキャリアチェンジの話をして励ましてくれたり、未来の希望について考えてくれたり、何より、落ち込んでる自分の気持ちを「売り手と買い手」の立場を超えて真剣に聞いてくれた。その時期、Tomomiさんが色々と辛い状況にあったということを、当時の自分は全く知らなかったし考える余裕も無かったが、後で聞いて、驚いた。

こうして一人でやってきた自分を必死に励ましてくれるお客さんがいて、すごく嬉しかったし、何より、人として、Tomomiさん自身が大変な時なのに、一知人である自分に、そこまで親身になってくれたことを、自分は忘れない。と。

私は、あんまり自分自身のパーソナリティや生活についてブログに書くことは無い。こういう、ビジネス色濃厚なブログだし、私の日常生活についてなど、それほど面白くもなければ特筆すべきこともないと思っているので。

でも、普段、わざわざ口に出すことは無いが、「自分がハッピーな時に他人に優しくできるのは当たり前。辛い時に、どれだけ他人の立場に立てるかが、人として大事」だと、長いこと思って来た。

「ブログが書けなかった」と以前告白したが、数年間、公私共に心を痛めることが数多くあった私にとっては、彼の言葉と気持ちは、涙が出そうになるくらい嬉しい贈り物だった。

とある元IT業界人がオーナーとして始めた、とあるセレクトショップのハンガーは、立派に「前肩」で、今も我が家のクロゼットに掛かっている。レディースとは思えない渋く上質な素材を使って、燻し銀の技術を持つ日本のテイラーが仕立てたジャケット(言うまでもなく、彼の新しい店で買った)の止まり木となって。


「知らなかったこと」にはできない。

これまで、「知らなかった」自分と、「知ってしまった」自分とは、どちらが幸せなんだろう。
と考えることが何度かあった。

私の場合、主にそれは食い意地に関係しているのだが。

私の密かな趣味?は、「食パンの食べ比べ」だったりする。と言っても、自分でパンを焼くほどのスキルはなく、ただ、見かけた街のパン屋さんやデパ地下で食パンを買うのが好きだ。不思議なもので、食パンの値段というのはだいたいどこの店でも相場が決まっている。よほど何か蘊蓄がある凝ったパンでなければ、普通は一斤200円から250円ぐらいで買える。

最初は「おいしい」「おいしくない」みたいな軸でしか判断できなかったが、色々食べていると、甘みがあったり、香ばしかったり、塩気があったり、それぞれ味が違っていて、「単に"違う"だけで、後は好みの問題なんだなあ」と最近までは思っていた。

が、先日、「食パン観」が変わるほど"違う"パンを食べた。確かに、値段もちょっと高かった(定価は450円ぐらいで、一日前ので360円だった)んだけど、それぐらいの値段の食パンは他にもないわけではない。でも、これまで自分が食べてたパンとの違いに、カルチャーショックを受けた。

それと同時に、「この味を知った自分は、知らなかった自分と比べて、幸せなんだろうか」と、冒頭の問いに戻ったのだった。

パン以外でも、似たようなカルチャーショックを受けたことは何度かある。例えば、コーヒーとか。私は10年ほど前むちゃくちゃコーヒーにはまった時期があって、街を歩いて美味しそうな喫茶店を見つけたら飛び込んでみる、のが趣味だったことがある。日本のコーヒーは一般的にとてもレベルが高いと思う。それが分かったのはアメリカに行った後だったが、でも、アメリカにも、日本の美味しいコーヒーと比べても全く引けをとらないコーヒーもあった。

なぜ、その味を「知ってしまった」ことが不幸せか、というと、「○○は××でしか買えない」のような、自分の行動に対する「縛り」みたいなものができてしまうからだ。いや、別に、他の店で買ったからって、ペナルティがあるわけじゃない。もちろん、他の方に淹れていただいたコーヒーは、いつでもありがたくいただきます。・・・なんだけど、自分で買うという段になると、やはり、他の店への足が遠のいてしまうのだ。しかも、その店が遠かったりするし。それってホントにコーヒー好きにとって幸せなんだろうか?みたいな。

実は、こんな非建設的な悩み(笑)で、つい最近まで、美味を心から追及することに、私は、心のどこかでブレーキを掛けていたかもしれない。「その割には食い意地、張りすぎ」と突っ込まれるかもしれないけれど(笑)

つい先日、友人と会ってそんな話をして、別れて、しばらく自分でも考えていたのだが、やっぱり、「知らなかったこと」にはできないし、「知ってしまった」ことは自分にとってラッキーなのだと、今は思えるようになった。

この先、自分が知ってしまったおいしいコーヒーやおいしいパンを一生知ることなく過ごしていたとしたら?と考えると、それはもっと寂しいんじゃないか?と、思うからだ。これは、別に、食べ物のことだけじゃないのかもしれない。例えば、きれいな景色や、すごいプレゼンを見た後の感動みたいなのもそうだ。同じように、最近、私はソーシャルブックマークを始めてみて、「ブログを始めた頃の自分だったら、間違いなくコレで一本書いてたな」と思う記事がたくさん溜まっていることに気づきつつあった。

前は、おいしいコーヒーの味を知ってしまうと、「買いたい店が少なくなる」的な、後ろ向きな考え方をしていたが、実はそうじゃなくって、自分の知っている味の幅が広がった、成長したという考え方もできるなあ、と。ブログも、(更新頻度が落ちているのはもうちょっと何とかしたいとは思うけど)たくさん記事を読めるようになったり、感動の琴線ハードルがあがったことで、色々考えてから書くようになったのは、これはこれで良い面もあるのだ。たぶん。

「出会いは別れの始まり」と考えるか、「別れは出会いの始まり」と考えるかの違いみたいなものだろうか。

アメリカのファミレスの、むちゃくちゃ煮詰まったニガニガのコーヒーも、カリスマバリスタの気合十分・焼き立てなコーヒーも、
スーパーで量販されてる乾燥しちゃったパンも、パン職人が極上素材を使って丁寧に焼き上げたパンも、
そのときそのときの状況に応じて、どちらも楽しめる自分でいたいなあ。と今は思う。
例えば、突然思い立って出かけた旅行先で、とか、むちゃくちゃ真剣に議論してるときとかは特に。
何を食べるかも、とても大事だけど、誰とどう食べるかも、同じくらい大事だし。

ちなみに、私が先日感動したのは、天然酵母を使ったパンだった。
パネッテリア アリエッタ
〒141-0022 東京都品川区東五反田2-5-1 ルネッサンスビル1F
TEL / FAX: 03-3444-1345
営業時間: 8:00~20:00
定休日: なし


日本の女性は美しい。

色々な人に、「日本に帰って来てカルチャーショックだったでしょう」「もう慣れた?」と聞かれる。もうだいぶ慣れたと思うのだけど、今回は、何が私にとってカルチャーショックだったかについて書こうと思う。

いや、なんたって改めて一番驚いたのは、日本の女性が美しいことだった。

夏の暑さにも負けずに、いつもきれいにお化粧(それも、しっかりフルメーク)しているし、レイヤーや微妙なパーマの入った髪をきちんとセットし、服も真新しくきちんとアイロンがあたっていて、可愛いバッグや日傘を手にし、華奢なミュールでスンナリと歩くその姿。

どうして顔に汗をかかないんだ!!お化粧崩れないんですか?どうやってその髪セットしてるんですか?エンゲル係数、じゃなくってアパレル係数どれぐらいですか?靴擦れとかしないんですか?

と、私の頭の中は疑問で一杯である。

そもそも、こういうことを書いてること自体、日本人女性としてダメダメな気もするが、

アメリカで私が見ていた限り、アメリカ人の女性はあんまりベースメークに凝らない。マスカラ・アイライン・アイシャドーで、きっちり目力を発揮している人は多い。あとは口紅。人によってはチークをつける人もいる。でも肌はナチュラル。ソバカスあっても気にしない。日本人みたいに、下地付けて、ファンデ塗って、お粉をはたいて…と凝ったベースメークをしているのはアジア系ではたまにいるけど、いわゆる白人ではあんまり見た事がない。髪の毛も、大人の女性だとパーマをかけてる人は多いけど、大学生ぐらいまでは、切りっぱなし洗いっぱなしの髪をポニーテイルに結わえてオシマイ、というスタイルが多い。服だって、仕事以外の時は年中Tシャツ&ジーパンぐらいの勢いだ。(日本に比べると季節感が弱いし、気候が年中温暖なので、衣替えの習慣があまりない)素足にサンダル、というスタイルはアメリカでも人気だが、日本人の華奢なヒールに比べると、どうも「つっかけ」に見えてしまう感は否めない。

でも、今の私は、スーツを着込み、Franklin Coveyの分厚い手帳や書類や本が入った重たーいビジネスバッグを背負って電車で会社に通わなければならない。しかも最近やたらと出張が多くて、ほぼ毎週のように大阪や博多に行っている。この2週間は3回出張、しかも休日出勤までしてしまった。言うまでもなく、西日本は東京より更に暑いのである。。。。

そんな中、最近立て続けに年上の男性に、「30upの既婚女性は、まだまだ若い、と思って緩みきってるから気を付けろ」と忠告され、さすがの私も重い腰を上げました。一般的な日本の女性ほどには全然なれていませんが。(まぁ、こんな人でもこれぐらいはがんばってるんだ、という一例として。)

  • 髪には椿油。お肌同様、髪も、乾燥しているときは水分を与えてから油分で蓋をして蒸発を防ぐと良いそうな(美容師さんに教わった)シャンプー前に椿油を髪にはたきこみ、蒸しタオルで20分ほどラップ。この後の工程は通常のシャンプーと同様。1週間に1回ぐらいでも髪がツヤツヤ、しっとり、天使の輪が復活します。
  • 洗顔にはフルーツ酸配合石鹸「クレンジングリサーチ ソープ」。びっくりするぐらい垢が取れます。テクノロジーの進歩はすごい!!私は美容モノに関して保守的で、ここ10年クリニークの石鹸を愛用していたのですが、たまには新しいものを試さないとイカンと思いました。お肌が弱い人はかゆくなることがあるそうなので、たまに使うと良いそうです。
  • 暑ーい日は、洗顔後、顔を氷で冷やして毛穴を引き締めてからお化粧。これで崩れにくくなるそうな。私はあまりに汗かきなので、効果はあんまり実感できてませんが。。。
  • 靴は歩きやすい紐靴にこだわる。アルバラデホ改めカルミナの 靴は、実は渡米前から愛用していた。アメリカではあまりにクラシックすぎて滅多に履かなかったが、このフィット感を知ったら病み付きになります。足に合っ た靴を履くとむくまないので、この靴を知ってから私の靴のサイズは小さくなりました。「足の幅が狭くて甲が薄い」「パンプス類はすぐ脱げてしまう」方には オススメです。色違い含め3足持ってます。ワンシーズン履き捨てにしても惜しくない靴も混ぜて、同じ靴を週1回履かないように気を付けるほど丁重に扱って います。(それぐらい大事なのだ)
  • 週に2回は寝る前にストレッチ(30分程度)去年、人間ドックに行ったら(会社の福利厚生で)「どこも悪いところはないけど、もう少し運動した方が良いですね」「お忙しいでしょうから、せめてストレッチでも」と、図解入りのストレッチ教本をいただいた。以後、ストレッチだけは続けてるのだけど、少なくとも「朝起きた時にズズーンと体が重い」みたいなことはなくなりました。冬は体が温まるし、夏も精神的にスッキリするので、寝つきが良くなります。もちろん、これだけで完全に肩凝り・腰痛を治せるわけではなく、「これ以上悪くしない」という感じですが。でも、出張疲れが溜まってる気がして昨日久しぶりにマッサージ屋さんに行ったら、セラピストさんに「体が柔らかい」と誉められた♪
  • とどめはメディキュット。帰宅後、スーツとパンストを脱いだら着用。むくみが取れて、すっきり足首になります。

・・・それにしても、書けば書くほどオタク臭が漂う。でも一体私は何のオタクなんだろう。

ところで、話は変わるが、靴の話を書いてて思い出した、もう一つのカルチャーショックがある。
飛行機に乗る前、手荷物検査で靴を脱ぐことは、2003年以降アメリカではフツー(デフォルト)だったので、帰国した時、「脱がなくていいの?」と、逆にすごく驚いた。最近は日本でも靴を脱がされることがあるのだが、前述のカルミナは金属の骨が入ってて必ず引っかかるので、私は言われる前にサッサと脱いでしまう。でも、私がパンスト1枚でぺたぺた歩いてゲートをくぐろうとすると(アメリカでは皆そうだ)、係員が慌ててスリッパを持って飛んできて、恭しく「どうぞ」と差し出してくれるのだ。靴を履こうとしたら靴べらを、履き終わったら恭しくスリッパを持って行ってくれる。いやー、別にここは靴屋じゃないんで、何もそこまでせんでも。。。。と思うのだけど、日本人ってどういう時でも丁寧で恭しい国民性なんですね。


自分と社会と仕事と

少し前に、大学の後輩と飲んだ。最近いろいろ悩んでいるので少し話を聞いて欲しい、ということで、同じく仕事で悩んでいる別の後輩を連れて来てくれた。彼女達はどちらも社会人4年目になったところだ。

「悩み」というのは、他人からどう見えようと、その最中にいる本人にとっては深刻なものなので、まとめてしまうのは彼女達に失礼かもしれないのだが、断片的に聞いた限りではかなり共通するところがあると感じたので、敢えてまとめさせてもらうと、

  • 自分の仕事が本当に人の役に立っているのか、お客様に喜ばれているのか、実感が持てない。
  • 「ホントは今のままじゃダメだろう」と思っているのだが、自分には、周りの人を説得するだけの技術や能力がないので、自分の意見を主張するのにイマイチ自信が持てない。だから、主張しても周りに理解してもらえない(あるいは、主張することを躊躇ってしまう)
  • なので、もっと顧客や消費者に近い仕事に転職しようと思っている。

実は、これと非常に似た話を、過去に会社の同僚達(正確に言えば「元同僚達」)から何度も聞いたことがある。更にもっと正直に言うと、私自身もかなり似た悩みを彼女達と同じ年頃の時に持っていたので、その気持ちはとてもよく分かるような気がした。私自身が、その時その悩みをどう超えたかは、超えられない壁は、自分の前には現れない。というエントリで書いたことがある。読み返すと青臭くて恥ずかしいが、今になって思えば、私は自分の仕事に対するフィードバックを 欲していたのだと思う。

自分、お客さん、会社、これらの関わりの中で、どのように自分のやるべき仕事を定義してゆけば良いのだろう?

こんなことを考えながら、Jim Collinsの"Good to Great"を読んでいたら、もしかしたら、これは企業や組織にとってだけでなく、個人のキャリアを考える上でも当てはまるのでは?と思う点が幾つもあった。

  • First Who, Then What (誰と一緒にやるのかが最初。何をするかはその次)
  • Confront the Brutal Facts (自分が「勝てない土俵」はどこかを知る)
  • Hedgehog Concept
    • What you're deeply passionate about (自分が心から情熱を感じられるものは何か)
    • What you can be the best in the world at (自分が世界で一番になれるものは何か)
    • What drives your economic engine (自分の強みを経済的な価値に変換する仕事とは何か)

#日本語は私の意訳です。

「戦略とは、『何をするか』ではなく『何をやらないか』を定義することである」とはよく言ったものだが、この中で一番難しいと思うのは、「勝てない土俵」について明確にすることなんじゃないかと思う。誰だって、もしかしたら自分はすごいことができるんじゃないか、ひょっとしたら自分の会社は世界一 (The best in the world)になれるんじゃないかと思っているからこそ、今日も頑張れるのだろうから。

そういう意味では、ものすごく苦手なことがあるとか、自覚している弱点があるとか、今の会社・仕事とは決定的に合わないと思っている人の方が、もしかしたら、Greatになるための道筋は見えやすいかもしれない。Jim Collinsもこう言っている。"Good is the enermy of great." (超訳すれば、「イイ人なんだけどね~」という感じ?!)

「自分と社会と仕事と」については、もう少し考えを深めたら、また書こうと思う。

余談ですが、Good to Great(日本語訳は「ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則」)について。私はこの本、すごく好きです。Amazon.comのビジネス書部門でも4位(2006年7月6日現在)と、未だに売れに売れまくっているだけのことはある。梅田望夫さんも書いておられるように、Jim Collinsの働き方は、ある種の人々(私を含む)にとって「理想的ビジネスライフスタイル」だと思います。内容はもちろん、本の書かれたプロセスや文章の巧みさなどを見るにつけ、「こういうやり方でこういう仕事ができたら素晴らしいな…」と思うのです。


ブログに書くのもヘンかもしれないけど

実は、私が普段メインで使っているメールサーバが、ダンナの容量オーバーで止まっているため、この2週間分ぐらいメールが読めていません。

もしこのブログを読んでいて、「あの件、返事くれてないよね?」と思った方は、お手数ですが、ashino at gmail.com まで再送いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。


八方美人にサヨナラ。

私は要領が悪い。脊髄反射的に真顔で正論をかましてしまい、後で反省したり、落ち込んだりすることも多々ある。なので、コミュニケーション能力が高く、リアルタイムで軌道を修正しつつ、相手との間に気持ちの良い空気を作り出すことができる人に、とても憧れる。そして、自分の要領が悪いことを自覚しているので、せめて推敲がきく書き言葉では、なるべく人を気分悪くしたり傷つけたりしないようにしようと普段から(いちおう)気を付けている。

しかし、一時期、自分のキャパを超えるアクセスがブログに来てしまって、読み手の感情を意識し過ぎて、どうにもうまくブログが書けなくなったことがあった。だけど、「いいじゃん、好きに書いたって」と開き直ったら、意外とそれを気に入ってくれる人がいて、逆に驚いた。

この話を、黄昏さん(仮名)という友人にしたら、

八方美人になると、7/8の人は去っていくが、自分の意見を正直に言えば、去って行く人は1/2になる。我慢した上に、1/8の人しか聞いてくれないんだったら、思ったことを素直に表現した方がよい

と言われた。・・・名言だ!しかし、彼は、自分のキャラじゃないという理由で、こういうことは自分のブログ(内容で面が割れてしまったとのことで、本業を考慮し、既に更新は停止)には書かないそうだ。それはちょっと勿体無いので、ここに書いておきます。


すでに起こった未来

ピーター・ドラッカーの言葉に「すでに起こった未来」というのがある。

この表現が分かりづらければ「ターニング・ポイント」と言い換えても良いかもしれない。

既に起こった出来事であり、もはや元には戻れない、しかし重要な影響力を持つ変化。たいてい非常に些細なので、殆どの人が見落としてしまう出来事のことを指している。「すでに起こった未来」を知覚し、未来を予測・分析するのが社会動態学者である自分の仕事だ、というようなことを彼は書いていたのだが、実は、「すでに起こった未来」は社会動態学者だけでなく誰にとっても存在するし、誰にとっても重要なものだと思う。

「すでに起こった未来」を、私はうまく説明できないので、少し長くなるが山田ズーニーさんのコラムを下記に引用する。

「分岐点」

5年つきあった恋人と、
自分の言った
「たった一言」が原因で別れたという人がいた。

「あの一言が原因で‥‥」
と悔やむその人に、ある人が言った。
その一言は原因ではないと、

「5年もつきあって、
 たった一言が原因で別れるようなことはない」と。

事情はまったく知らない私だが、
この言葉にすごく感じるものがあった。

分かれ道は、もっと前に来ていたのではないだろうか。

もっと水面下で、
もっと静かに、
もっと決定的に。

道が分かれて、
最初は目に見えないちょっとの距離が、
水面下で、しだいしだいに大きくなっていって、
ついに水面化に隠しきれなくなって、
水面に現象となって顔をあらわしたのが
その「一言」ではなかったか。

だったら、そのおおもとの「分岐点」はどこか?

人と人が出逢ったり、
別れたり、
成功したり、
転落したり、
人生は不思議だ。

その理不尽さに、
「あのとき、あっちを選んでいればよかった」
「あのとき、こっちを選んでいてよかった」と、
私は、原因を目に見える現象に求めてきた。

だけど、最近はそうでなく、
よくもわるくも、
自分をこの道に入り込ませた決定的な原因は、
もっと見えないところで起こっているんじゃないか、
と思うようになってきた。

人は日々あたらしく生まれ変わっている。
たいていのことはやり直しがきく、と思う。

だけど、よくもわるくも、
それをいったん選んでしまったら二度と引き返せない、

「分岐点」

みたいなものがある、
と私は思う。

それにのったら、二度と、もとには、戻れない。

ところで、少し話は変わるが、仕事をしたりブログを書いたりしていて、未来のことに対して「正しい答え」を(意識無意識のうちに)要求する人ってけっこう多いのだなあ、と思うことがある。

でも、未来に対する「正しい答え」は、たぶんありえない。

もちろん、「様々な状況を考え合わせると、最も可能性が高いのはこうだろう」とシナリオを描くことはできる。しかし、そこには必ず「人間の意思」という不確定要素が影響する。外部環境の変化を知覚することや、タイミングはもちろん大切だが、意思と行動によって、未来は自分の手で変えることができる。未来の芽は、そこいらじゅうに溢れている。でも、その「すでに起こった未来」を、自分の中でどのように位置付けるのか、どういう世界観を描いていくのかは、自分次第だ。

私は、どういう未来を実現したいのだろうか。きっとこれからも永遠の課題であり続けるのだが、どうせなら、素敵な未来を描きたい。今はそう思う。


東京の桜

東京の春は、何と言っても桜。

こないだの週末は満開でした。ぱあっと咲いて、あっという間に散っていくのはなんだか少し切ないけれど、ハラハラと舞う桜の花びらは、これはこれでまた風情があってよいものです。うちの近所は桜の木が多いので、特にこの季節は「ここに住んでて良かったなあ」と思います。

写真センスがない自分が悲しいけど、まだ桜を見ていない人のために。


年年歳歳花相似 歳歳年年人不同

私の家から最寄り駅までの道には、長い桜並木がある。

日本に帰ってくることになり、家を探している時、不動産屋さんに連れられて駅からテクテク歩きながら、「春はさぞ綺麗だろうなあ」と思った。ちなみに、この道沿いにはところどころ沈丁花も植わっていて、2週間前ぐらいからとても良い香りがしている。

そんなある雨の日、駅を降りたら、桜餅の匂いがした。
「もう春なんだなあ」と、なんだか嬉しくなった。

例年にない冬の寒さと通勤ラッシュに少しメゲていたのだが、寒さに震えた後だからこそ、余計に暖かい春を待ち焦がれる。四季の移り変わりの美しさと、それを愛でる心は、日本の素敵なところだと、改めて思う。

うちの近所の桜は、いよいよ蕾がほころび始めた。たった1週間の開花のために1年分エネルギーを蓄えている桜の木。その花を眺めるために、暑さ寒さを我慢して年中通勤する私。花は毎年咲くのに、こんなにワクワクするのはおかしい気もするけれど、誰の花でもない花を喜べる自分のことはちょっと好きだ。

少しでも長く咲いてくれるといいなあ!


私の手帳と本棚

年末だからか、最近、手帳に関する本が目立ちますよね。
タイムキーピング&情報整理の基本かなあ、と、私も10月に手帳を買いました。
ちょっと奮発して、Franklin Coveyです。1日2ページ(見開き)のOriginalというデザインのリフィルを使っています。ちなみに、買いに行った時、私の隣でバインダーを選んでいた女性は、店員さんと「私、Franklin Coveyのバインダーもう3冊目なの」「あら、私もよ!」と言っていました。。。。一体何年使ってるんだ?!

しかし、ベストセラーは伊達ではなかった。既に2ヶ月ほど使っていますが、コレ良いです

  • Appointment Schedule(1時間毎の予定表):その日の作業予定/実績を管理するのに使う。自分が何にどれくらい時間を使っているのかや、生産性が把握できる。
  • Daily Task List:その日やらなければいけないTo Doを管理(やり忘れ・やり残しを防げる)以前は毎日裏紙に手書きしていたが、紙が散乱したり、追加・削除を繰り返すうちに分かりづらくなるので、長期的な管理が難しかった。
  • Daily Notes(1日1ページ):その日の印象的だった出来事・ミーティングのポイントをメモ。

最初は「1日に見開きって、量が多すぎて使わないかなぁ?」と思いましたが、予定の管理だけでなく、実績を振り返れるので、仕事の日記帳として非常に役に立ちます。自分のための日報・週報として私は使っています。ベストセラー「7つの習慣」では、見落とされがちな「緊急ではないが重要な仕事」を片付けていくことと、重要な仕事にリソースを集中することを説いています。緊急で重要な仕事は、誰でもすぐにやります。緊急でないが重要な仕事を前倒しでやっておくと、仕事に追い回されずに済むようになるという利点があるからです。

この手帳で自分の時間を記録し始めて、私は、いかに自分が重要でない仕事に時間を取られているか、優先順位付けを意識していなかったかを痛感させられました。

大きさはクラシックサイズ(5-1/2" x 8-1/2")がお勧めです。
これ以上小さいと書きこみづらいし、大きすぎると持ち運べないので。
膝の上に置いてノートを取ったり、資料を張ったり(レターサイズを半分に折ると丁度良い)フルに使っています。

10年分くらいのカレンダーや、「長期計画」を書き込めるシートもあって、将来のことを考えるのにも使えます。って、まるでGMO・熊谷社長の受け売りのようですが。

パソコン・PDAで管理するというのも試みたことはあるのですが、どうも私には紙の方が合うようです。

しかし、日米で値段があまりに違うのが納得行かない。アメリカでは、基本形リフィルが$27、バインダーも$100せずに可愛いデザインのが色々あるので手が出ますが、日本ではリフィルだけで4,500円もするのかあ。。。

あと、ペンはPilotのRetractable Ballpoint pen(0.7mm)を愛用しています。力を入れなくてもハッキリ書けて、線の太さ・鮮やかさも程よく、滅多にインクが詰まらない、クリップ部が金属なので折れないところが気に入っています。しかも安い。当然手帳にもこのペンを差していて、いつも持ち歩いています。私は左利きのため、鉛筆や水性ペンは横書きの際に手が汚れるので、普段はもっぱらボールペンで、他の筆記具は殆ど使いません。

とまあ、普段持ち歩く情報は整理されつつあるはずなので兎も角、今私が一番頭が痛いのは、本の整理です。雑誌は割り切って殆ど捨てたんですが、日本で倉庫に預けて行ったのがたぶん100冊前後(スライド式本棚2台+棚2つ、それでも溢れてる)、アメリカから船便で送った分が更に100冊ぐらい(殆どハードカバー)今週届くので。向こうにいたときはアパートに備え付けの棚があったので、収納の心配ナシに無節操に本を増やしてしまったツケが今ココに…。

  1. 収納力が高い
  2. できれば値段がそれほど高くない
  3. できれば柔軟にサイズが変えられる(増築可能)

そんな夢の本棚をご存知の方、ぜひ教えてください。

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