ハチミツとクローバー

ハチミツとクローバー」は、素直に観ると、中高生は「恋がしたい」と憧れに胸をときめかせ、その最中にいる人は、登場人物一人一人を自分の身の回りに当てはめちゃったり、その中の一人に感情移入して応援したくなり、その時期を過ぎた人は「いやー、こういう頃もあったねぇー」と、なんだか懐かしく心を震わせるような、そういう映画である。

この映画で描かれる人間関係を一言で言えば、「誰かを純粋に好きになって、その相手は別の人が好きで、でも諦められなくて、そして、恋愛とは別のところでお互いを認め合っていて、良いお友達で」という構図なのだが、この映画がこの甘酸っぱさを保てているのは、人生のある限定された時期・局面の中だからこそだと思うのは、きっと私が「その時期」を過ぎてしまった人だからなんだろう。

日本人が桜を愛でるのは散るからであり、いずれ散ると分かっていながらその刹那にのみ存在する不作為の美しさというのは、世阿弥が言うところの「時分の花なのだと思う。「ハチミツとクローバー」は、まさにその「時分の花」の映画であった。

それはさておき、私がこの映画で一番考えさせられたのは、「才能って何なんだろう」ということだった。

この映画の中心人物の一人・花本はぐみ(通称:はぐ)は美大入学当初から「天才少女」と注目され、指導教官には「あなたなら、オスロ国際ぐらい、その気になれば獲れる」と太鼓判を押されるほどの実力の持ち主である。ただ描きたいから、描きたいものを、描きたいように描く。

そんな風にスクスク育ってきたはぐが心惹かれるのは、自ら天才と称する森田である。はぐと森田は、純粋に「良い作品を作り出すことに対して真摯である」という点において、同じくらいの能力と想いの強さを持っており、お互いを認め合う「同志」である。二人とも、芸術にお金やビジネス、賞が絡んでくることに戸惑いを持っている。

(私は原作を読んでいないので、作者の意図や、この作品の世界観とは全然ズレているかもしれないが、)こういう風にお互い大事にする世界(それは別に同じ世界である必要はなく、一方は芸術家、一方はアスリートでも全然構わない)があって、そこに賭ける情熱や価値観という意味で認め合える男女がいたら、かなりの確率で二人は恋に落ちるだろう、と私は思う。なぜなら、男と女は惹かれ合うようにできているからだ。恋人として本当にうまく行くか、続くかどうかはまた別の問題だが、気持ちが転がり出してしまったら、もはや止める術はない。

#まぁ、この映画の中では、はぐと森田の関係の中にはそこまで明確な恋愛感情は存在していない(ように見える)ので、これは私の余計なお節介なのだが。

竹本君ははぐに恋をしている。そして、はぐを好きな自分と自覚するのと同じぐらい明確に、芸術において、自分ははぐと森田の間には入り込めない、ということを自覚している。これは辛いことだ。恋愛において「自分がどんなに好きでも、うまく行かないことがある」ということと、職業において「自分には敵わない才能がある」ということを、同時に突き付けられているからだ。自覚した上で、それでもはぐが好きだと告白し、自分が大好きなお城やお寺といった、古い日本の建築物と寄り添う道を、戸惑いながらも歩いていく。ここが竹本君の強さだと思う。

はぐの指導教官の幸田先生は言う。「このままだと、あなたは自分の才能の重さに押し潰される。それは内心、あなた自身も分かっているはずだ。そうやって消え去る才能を、私はこれまで何度も見てきた」藤原兄弟も言う。「これはビジネスなの。」中谷彰宏は言う。「一枚しか傑作がない画家を天才とは言わない。画廊をいっぱいにするぐらいの作品が揃っていて、初めて天才と呼ばれる」元讀賣ジャイアンツ監督 故・藤田元司は言う。「力が衰えてきたとき、才能が一番邪魔」コート・ドールのオーナーシェフ、斉須政雄は言う。「鋭さだけでは『やっといて』程度の役目しかもらえない。腕がいいのと料理界で生きのこる能力とは一体ではありません。才能をかつがれたままこの世界から去る姿も見てきた」

「並の天才」であれば、コンスタントに、一定のクオリティを安定して保ちつつ量産できること、そういう信頼を周囲から勝ち得ることが必要だ、ということなのだと思う。しかし、花本先生(はぐの親のイトコ)は、はぐや森田は「並の天才」が束縛されるそういう常識をぶち破れる才能の持ち主なのではないか?それを大人が束縛することは、むしろ二人の翼を奪うことにならないか?と考え、二人を温かく見守っている。

常識的に考えてありそうなシナリオ―原田未亡人が花本先生とくっ付いちゃったり、失恋の痛手に苦しむ真山を山田が慰めているうちに二人ができちゃったり、そんな中途半端な真山は真山じゃない、と思いつつ、山田も情が入ってしまってズルズル腐れ縁が続いてしまったり、あまりに破天荒でいい加減な森田との関係に傷つくはぐを包み込む、癒し系竹本君とはぐがくっ付いちゃったり、やっぱり別れたり、みんなもっと他の人と付き合って、「あの頃のピュアだった自分」を懐かしんだり―彼ら彼女らは、そういう「普通の大人」になっていくのかもしれないし、ならないのかもしれない。

全てはまだ、これから先の、未来の話だ。


最近観て気に入った映画

それぞれの人に、それぞれ与えられた条件・環境があって、人によっては厳しかったりそうでもなかったりするし、自分一人の力で変えられるものとそうでないものがあるし、努力して報われることとそうでないことがあるし、人によっては意思の力や賢さも違うし、それぞれが与えられた制約の中でも精一杯生きるのが人間の性なのかなあ

というような、どの作品にも共通して流れるテーマがツボでした。(むしろ、私自身が最近そういう気持ちなのかも)

別に人生に対して諦めたとかそういうわけではないのですが、人間には、それぞれ、できることとできないことがあるというのはもうどうしようもない真実だし、本人がやりたくないんだったら、合理性を議論したり、怒ったり責めたりしてもしょうがないよなーと。

「ジョンQ」

妻はスーパーマーケットのパートタイマー、夫はメカニック。ボディビルと野球が大好きな可愛い息子が一人。ある日、最愛の息子が倒れ、心臓移植をしなければ生きられないと告げられる。費用は数万ドル。保険はきかない。夫と妻の年収はそれぞれ年1万ドル台。アメリカの「普通の人」はきっとこういう生活が普通なのだろうなあ、と感じた。子どもがいる人が観たらどういう感想なのか聞いてみたい。「誰かに選ばれたら、その人の期待に応えろ」と息子に語り掛ける主人公の台詞が印象に残った。アメリカは、豊かそうに見える反面、保険や年金等、ソーシャルセキュリティでは色々と問題もあるなあとも思った。

しかし、やはり医療関係者の熱意、人を救おうとする真摯な気持ちが描かれていたことには救われた気がする。

ジョンQ-最後の決断-
デンゼル・ワシントン

ジェネオン エンタテインメント  2004-06-25
売り上げランキング : 6,243
おすすめ平均


Amazonで詳しく見る
    by G-Tools

「死ぬまでにしたい10のこと (My Life Without Me)」

これもやっぱり「普通の人」が主人公。DVD特典映像で、主演女優のインタビューが収録されていたが、「労働者をジョークにしていないところが気に入った。彼らはただお金がないというだけで、物事をきちんと考えているのだから」といった彼女の言葉に強く共感した。父は刑務所、10代で最初のボーイフレンドの子どもを妊娠してしまい結婚。母の家の庭のトレーラーで生活し、夫は日雇い労働者、自分は大学の清掃員。ある日、癌で余命はあと3ヶ月、と言われたら…。キャスティングや映像センスが素晴らしい。日本では「アルモドバル製作総指揮」といわれていたが、おそらくそれは単なるマーケティングで、間違いなく女性が作った映画だと思う。

主人公の決断・選択には、きっと賛否両論あると思う。愛する夫と子どもを残して先立たなければならなくなった時、自分は一体どうするだろう。同性として既婚者として、かなり色々考えさせられた。「死ぬまでにしたい10のこと」に、私は何を挙げるだろうか。

死ぬまでにしたい10のこと
イザベル・コヘット サラ・ポーリー マーク・ラファロ

松竹  2004-04-24
売り上げランキング : 4,069
おすすめ平均


Amazonで詳しく見る
    by G-Tools

Million Dollar Baby

家族愛の映画。ラストは相当に切ない。勧善懲悪とか爆笑とかスッキリとか、そういうカタルシスを映画に求める人は観ない方がいいかも。逆に、傷付きながらも、立ち直っていなくても、人間は生きていかなければいけないんだね、という感じにはなれる。貧しさの中でも求め続けることを止めない女性をヒラリー・スワンクが熱演(ゴールデングローブ賞ならびにアカデミー賞で主演女優賞を受賞)。ボクサーとしての体作りやトレーニングはすさまじそうだし、殴られて顔ボコボコだし、きれい・可愛いだけの女優ではとてもできない役どころのお蔭で得をしている面はあると思うが、他に適任者が思い当たらないのも事実。イーストウッドやフリーマンと並んで迫力負けしない力量はさすが。

「天は二物を与えず」というが、イーストウッドのように二物・三物(監督・主演・音楽)を与えられた人がいるのだなあーと思ったり、逆にいえば、そこまで頑張ろうと思える対象、熱意を注げるものを彼は見つけたのだということが素晴らしいと思った。

Hotel Rwanda

ツチ族とフツ族という憎み合う民族の争いを超えて深く愛し合っている夫婦の姿が、民族同士の憎み合いと強烈なコントラストとなっており、声高に反戦を謳うわけでないのに、争いの無意味さを感じさせる。

内戦の混乱の中でホテルを運営し、多くの人を守った主人公ポール(実在の人物で、現在も存命)のリーダーシップには敬服するしかない。あの状況では、いつパニックに陥ってもおかしくないと思うのだが、ホテル内に秩序を維持していただけでも感嘆に値する。(UNの存在も大きかったと思うし、地元ギャングとの関係をキープし続けられた政治的手腕もすごい。そして最後はやっぱり世の中お金なのねとも思ったが)「シンドラーのリスト」や「キリング・フィールド」と同じようなカテゴリの映画と言えるが、殴られて泣き叫ぶ女性や子供、累々と連なる死体の山、といった映像を、ヘンにセンセーションに走ることなく淡々と続けているところがリアルで逆に怖かった。

今どきよくこんな映画をアメリカが作ったなーと思ったら、イギリス・サウスアフリカ合作だった。将来きっと名作と言われるようになるのではないかと思う。

極限状態に置かれた人間が、どこまで気高く思いやりを持って生きられるか、一人の人間がどこまで人に尽くせるか、その問いかけはとても重い。


Mona Lisa Smile

日本に一時帰国した飛行機の中で観たので、ずいぶん前になってしまいましたが、Mona Lisa Smile(※1)と、観て感じたことを少し。

主演は、押しも押されぬハリウッドNo. 1女優のジュリア・ロバーツ。アメリカ東部の名門女子大に着任した、型破りの美術教師を演じています。

大学とは言え、教師も親も学生も「花嫁学校」だと考えており、学生の半分は在学中に結婚し、花嫁修業もカリキュラムの一部、良い結婚相手を見つけることが学生たちにとっての一大事という時代です。カリフォルニアからやって来たワトソン先生は、あまりにコンサバで古臭いしきたりが多い東部の大学に驚き、こまっしゃくれた女の子たちは、あからさまな反撥を持って新任教師を迎えます。しかし、恋多き女であるにも関わらず独身を貫き、プロフェッショナルとして毅然とした態度を貫くワトソン先生は、「結婚して専業主婦になる」以外の生き方を、身をもって教えようとし、学生たちも、次第に彼女に心を開くようになります。途中は、ワトソン先生の恋と仕事や、学生たちの恋愛・結婚、家族との関係などが丁寧に描かれていきます。

結論から言うと、ワトソン先生と学生のちょうど間の年齢に位置する私としては、何だか身につまされる映画でした。

「弁護士の夢を諦めたら、私は後悔するかもしれない。でも、自分の子供を自分で育てられなかったら、私はもっと後悔すると思う。どうして専業主婦じゃダメなんですか?先生は、自分の生きたいように生きろ、って言うけれど、仕事と家庭の両立にこだわって、他の生き方を否定しているのは先生のほうだわ。これが私の生き方なんです」

映画後半で出てくる、こんな台詞が、一番印象に残りました。

今日のアメリカですら(※2)、まだまだ、仕事と家庭(主に出産・育児)との両立は大変だと言われています。$100,000以上の収入を得ている女性エグゼクティブの49%には子供がおらず、$55,000-$66,000クラスでは、43%が未婚だったそうです(Harvard Business Review; 2001年)

おそらく、この映画を観た働くアメリカ人女性も、自分の生き方と照らし合わせて、色々考えさせられたのではないでしょうか。

多かれ少なかれ、女性は結婚・出産・育児に際して影響を受けることが多いわけで、キャリアを考えていく時に、避けては通れない問題を、改めて目の前に突きつけられたというか、「そういや大学同窓の女友達はみんなどうしてるかなぁ…」などと思いを巡らせたのでした。

ただ、同時に、世間の常識ほどあやふやなものもないしな、とも。
「夫は仕事、妻は家庭」という家族のあり方が「常識」と言われたのって、日本ではごく最近の事象で、昔は農家や商家のおかみさんも一緒になって働くのが当たり前だったりと、国や時代が変われば「常識」なんて幾らでも変化するものですし、ジェンダーで窮屈な思いをしているのは女性だけではありません。

キャリアが断続したり、中断したりすることは、ある意味、大変ではあるけれど、逆に、(特に日本の)男性には、キャリアが中断する「自由」「選択肢」もあんまりなくて、それはそれで大変そうというか。配偶者が海外駐在になったので「仕事を辞めてついて行って、現地でコミュニティスクールに通ったりボランティアしたりする」のは、女性だったら誰にも何も言われない当たり前のことなのに、男性がそうしようとしたら周りがアレコレ言うというのも、男性には「キャリアを中断する自由」がないことの一つの例だと思うので。

何かを成し遂げようとすると、誰もが何らかの「打ち壊さなければならない常識」という壁にぶつかっているのではないか、と思ったりもします。

…とまぁ、色々考えましたが、シンプルに言うと、「色々あるけど、納得の行く生き方をしたいなぁ。自分にとっても、家族にとっても」と、改めて感じたのでした。

Continue reading "Mona Lisa Smile" »