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生きてゆく意味

久々に泣いた。

60年ぶりのスケッチ

フィリピンの戦場で、日本兵の遺した瑞々しく美しいスケッチブックに心惹かれ、持ち帰ってずっと自宅に保管していたアメリカ人。

60年の時と7,000マイルの距離を超え、父のスケッチブックは、ニューオーリンズから広島に住む娘の許に戻った。

暑さ、伝染病、敵兵への猜疑心、憎しみ。人が人を殺す戦場で、敵国の兵士に人間の心を取り戻させた家族への愛情。明日をも知れない毎日の中で、敵国の兵士のスケッチブックを大事に持ち帰った優しさ。60年を経た後も、いや、半世紀以上が過ぎたからかもしれないが、多くの人の善意と手を経て、1冊のスケッチブックが故郷に帰れたという話だ。

ビデオカメラに向かい、父の命を奪った敵国軍の元兵士に対して、「こんな大きくなりました」とスケッチブックと自分の顔を並べて、泣きながら御礼を述べる娘と、

「彼女のお父さんとは全く別のところにいたのに、こうして繋がっている」「もうこの世で思い残すことはない」と、自分の娘との再会を喜ぶかのような1人の老人。

そこには、敵も味方もなく、ただ、家族を想う父の心、記憶にない父の愛を確かに受け止めた娘、家族を想う父を見守る人の無償の優しさがある。

このような話を聞くと、しみじみ考えさせられる。
私が、誰かのために役に立てることって何だろう、と。
誰かに、どのように役に立てると私は嬉しいんだろう、と。
あえて堅く言うなら、「人間の尊厳」「生きている意味」ということかもしれない。

ここで話は変わる。

ハリケーン・カトリーナの報道を見ていて、不自然だと思った人はいないだろうか?
被災者に、あまりに黒人が多いからだ。

気になったので、2000年のUS Censusを調べてみたら、ニューオーリンズの人口・約48万人のうち、黒人の比率が67%、32,5000人だった。

表立って言われてはいないが、カトリーナへの対応・救援活動が遅れた理由の一つに、人種差別があるのではないか、という話がある。

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