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2つの150万都市(ニューヨークと札幌)

「世界一の都会」だと思っていたニューヨークへ旅行して驚いたのは、マンハッタン島の人口(2000年時点で150万)と、私の故郷・札幌の人口(約180万)が同程度だと分かったことでした。

勿論マンハッタンは昼間の人口の方が多そうなので、近郊のクイーンズ、ブロンクス、ニュージャージー州からの通勤者、世界中から来ている観光客を含めるとかなり増えると思うので、単純に札幌と比較するのは難しいのですが、

ニューヨークが世界の金融市場・文化の最先端を行っているとして、同程度の人口を有する札幌に、世界的な産業が持てない理由はなんなのだろう?

実は今月、北海道に帰省していたのですが(一時帰国)今回は、そういう課題意識を持ちながら歩いてました。

まだ考え始めたところで、結論は得られていませんが、札幌は北海道第一の都市なので、少し広げて「北海道経済」について、これから少し考えてみようと思っています。現時点の仮説は下記の通り。

  • 都市の活性度を計る基準は、GDP、住民の所得(1人当たり、世帯当たり)と消費、産業構成
  • 北海道の基幹産業は農業と観光
  • 北海道農業の主な作物は、牛乳(酪農)、じゃがいも、とうもろこし、小麦、メロン(気候の関係で、東北に比べて米作は弱い)
  • 製造業など、付加価値を付ける産業がそれほど発達していない(原料供給に留まっている)

これから調べたいポイントは、

  • 農業の活性化は、どの程度の経済効果をもたらすか
  • そもそも、なぜ北海道では酪農が盛んになったのか
  • 高付加価値型で、日持ちのする加工食品とは何か(現時点での仮説は「チーズ」「ワイン」)
  • それら食品のグローバル/日本の市場規模と、日本/北海道製品のシェア
  • 農業(加工食品も含む)、観光産業の経営に関する高等教育(どれくらいの人がこれら産業に関する高等教育を受けているか、高等教育は北海道の基幹産業の活性化に寄与しているか)
  • 加工食品産業のリーディング企業/地域のKFS
  • なぜ北海道で生まれ育って大きくなった会社は東京に本社を移すのか(例:サッポロビール、雪印乳業)
  • 新しい会社が作られる数、倒産数

日本の地方自治体のあり方、日本の地方が寂れている理由として、一般的によく言われるのは「三割自治」、つまり、自主的な財源(=税収)が自分達でコントロールできていないからだと言われます。確かに、人的・物理的資源の乏しかった戦後~高度成長期には、中央集権型の統治システムにはそれなりの合理性があったのだろうと思うし、実際その戦 略がWorkしたからこそ、今日の日本経済があるとは思います。しかし、アメリカ国内を旅行していると、「これから先は日本はもっと分権を進めたほうが良 いのでは?」と、漠然と感じることが多いので、なんでそう思うのか、分権化には合理性があるのかどうか、考えてみたいと思います。

それって、このブログの主旨(=ITが世の中をどう変えて行くかをシリコンバレーから考察する)と違うんじゃ?というツッコミもあるかもしれませんが、これはクラスターの具体的なリサーチである、ということで。テーマは変わらず、違う角度からも見てみる、ということです。

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女の生き方(エビータとクレオパトラ)

塩野七生は「ローマ人の物語」で、エジプトの女王クレオパトラの生き様を考える際、「ひとかどの女ならば生涯に一度は直面する問題」として、こう説いた。優れた男は女の意のままにならず、意のままになるのはその次に位置する男でしかない、と。

以前、ミュージカル「Evita」を観に行った。

パンパの貧しい家に庶子として生まれ、15歳でタンゴ歌手と駆け落ちしてブエノスアイレスへ。次々と付き合う男性を変えながら出世街道を駆けあがり、人気女優を経て、政治家フアン・ペロンの2番目の妻、そしてファーストレディとしての地位を得る。婦人参政権を実現し、労働者を組織し、福祉問題に多額の資金を投入し、アルゼンチンの民衆からは「聖女」と呼ばれるが、単純な「バラマキ」政策や、隠し資産疑惑、蔭の大統領として気に食わない者を更迭するなど、その指導力に軍からの疑問を挟まれる。正式な副大統領に就任する直前に子宮ガンが発覚。わずか33歳の若さで亡くなった後も、永久保存された亡骸は政治の思惑に翻弄され続け、なんと17年間も行方不明になっていたという。「エビータ」エヴァ・ペロンの波瀾万丈の人生を描いた、実話に基づくストーリーである。

エビータは、大統領夫人として政治の実権を握った。彼女の政策に対する世論は激しく割れたし、「男を転がして」出世していくやり方に対する批判も絶えなかった。

「もしエビータなかりせば」ペロンは大統領になれたのだろうか?

彼女の死後たった3年で大統領の座を追われて亡命し、後に、軍部の台頭に対する警戒を強めた勢力によって担ぎ出され、たった1年だけ大統領に返り咲いたペロン。

エビータがペロンを利用したように、ペロンは、女優としての彼女の人気や、貧しい生い立ちからの立身出世という背景を、大衆へのプロバガンダに利用した。エビータの病気や亡骸すらも政治的に利用した。そして、平穏な生活さえ送れれば別に大統領になれなくても…と言うペロンを奮い立たせたのがエビータだったこと、ペロン自身の政策に対する評価もさほど高くなかったこと、等を考えると、やはりエビータの「内助の功」によるところが大きいのではないか。

愛する男と手を取り合って自分の城を築き、そして自らの死の前後に帝国の崩壊を見た2人の女性は、「次席の器でしかないものに、主席もやれるという誤信を植えつけた」(塩野七生によるクレオパトラ評)と言って良いだろう。

エビータは、大統領就任後に更に若い愛人(ペロンとエビータの年齢差は24歳である)を作って妻を疎んじる夫に対し、その政策への非難を公然と隠しもしなかった。副大統領という正式なポジションをも要求した。そして聖女と呼ばれながら死んだ。

クレオパトラは、愛する男の正式な妻、子どもに対する正式な後継者の立場を認めさせることには成功した。しかし彼女は一国の女王、夫アントニウスは、ローマの指導者としての権力を若きオクタヴィアヌスと争う立場にあった。彼女の願いを叶えた結果、アントニウスの政治的立場は失墜に追い込まれ、プトレマイオス朝も女王の命と共に滅びた。

女の浅慮と笑うのは簡単だが、恋愛・結婚と、仕事とを、どのように自分の人生に位置付けていくべきなのか。女にとっての難しさは、男にとってのそれと、少し違った意味合いがあるような気がしてならない。

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