Decisions Under Uncertainty
アメリカ、そしてシリコンバレーにおける軍の存在感

異なる価値観に耳を傾けるということ

今日は記事の紹介ではなく、徒然なるままに思うところを書きます。

最近、色々な方がリンクしてくださったお蔭でアクセス数は増加傾向なのですが、実は、私自身としてはややスランプ気味なのです…。

「自分って何に興味があるんだっけ」を掘り下げるため、帰納法的アプローチで(笑)書いているうちに何か色が出てくるのではないか?と、自分のためのスクラップブックを作る感覚でblogを始めました。最初の頃は、がむしゃらに人がいいと言うものを手当たり次第に読み漁り、みるもの全てが新鮮な感動だったのですが、放っておくと、巡回先がどうしても固定化して、マンネリになってしまうんですね。もう少し正確に言うと、「なるほどなぁ」と感心したblogを巡回先にする→巡回先で紹介されているサイトも巡回するようになる というサイクルだけだと、ある人・特定の傾向に偏った情報ばかりを取り入れている、というか。世の中には頭が良く、高潔な志を持った方がたくさんいらっしゃるので、つい感化され、「そうだよねぇ」的エントリが増えてしまってるなぁ、と、危機感を持っています。

私は文系出身、大学は法学部なのですが、ゼミでは、在日外国人の人権に関する憲法判例を使って、ケーススタディをしていました。あるテーマをディスカッションするとき、必ず、「判例に賛成か、反対か」を表明して、それぞれの立場の代弁人として意見を言いました。そこで一番勉強になるのは、自分が本来思っているのとは逆の立場になって意見を言うことでした。例えば、「台湾人軍属が亡くなったら故人や遺族の意向も無視して靖国に祀るのに、恩給はあげないなんておかしい」と思っていたとしても、敢えて心を鬼にして(?)「イヤイヤ、それでいいんです」と、その論拠を挙げるわけです。

ディベートを学んだ方ならお詳しいと思いますが、「悪魔の代弁人」に近い感じでしょうか。

自分の意見とは全く違う論理を組立てていく、というのは、当初自分が持っていた意見のアラがよく分かり、最終的には、一つの立場からモノを考える時よりも遥かに考えが深まる、とても効果的なアプローチでした。

しかし、自省も込めてですが、人間って、どうしても、自分と同じ意見・同じ価値観の人の話を聞く方が耳に優しいようで、自分と違う価値観に対して、耳を閉ざしがちな面があると思います。私から見て、ああこの人の思考プロセスは素晴らしいなぁ、と思う人は、自分と異なる意見を聞くこと・引き出すことに積極的で、議論するのが上手なことが多く、クリティカルシンキング、価値観の対立を恐れてはいけない!と、常々自分に言い聞かせています。

blogをやっていてとっても面白いのは、色んな方と色んな形でのリンクができて、思考がシンクロし、相乗効果で、自分の考えを深められる点なのですが、それに加えて、いかに自分と価値観が違っていて、なおかつ質が高い情報源をキープするか が今後の課題だなぁ、と、感じています。

自分は、自分に賛成してくれる人の意見だけ聞いているのではないか?
自分と異なる価値観の人を、排除していないか?
常に、自分と異なる意見に耳を傾ける努力をしているか?

PVが多く、露出度の高いblogでは、賛否両論が常に盛り上がっているので、それはそれで、bloggerとしては大変なのかもしれないんですが、ある意味、とても幸せなことではないかしら、と、私は思います。

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