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料理三昧の週末

小熊英二「単一民族神話の起源」

最近、更新が遅くてすみません。「シリコンバレー在住日本人女性blog」と言ってくださる方もいるんですが、なにぶん私が勤めているのは日本企業なもので、ご多分に漏れず、年度末進行でバタバタしておりまして…。そんなわけで、寝る前に枕元に積んである本を少しずつ読み進めるのがblog更新の原動力となっている今日この頃です。

今日のブックレビューは、小熊英二「単一民族神話の起源 <日本人>の自画像の系譜」

最初に勘違いがないように念のために説明して置きますと、この本は、「日本人は本当に単一民族なのかどうか」を検証しているわけではなく、「日本人自身は、自分たちのルーツをどう考えていたのか。単一民族神話は、いつ・なぜ・どのように生まれたのか」 日本民族のアイデンティティに関する学説を検証したものです。

ずっと単一民族神話がメインストリームだったと思っていたものですから、この本の1行目から引き込まれました。あまりに驚いたので、ちょっと長くなりますが引用しますと、

「大日本帝国は単一民族の国家でもなく、民主主義の国でもない。否、日本はその建国以来単純な民族主義の国ではない。われわれの遠い祖先が或はツングウスであり、蒙古人であり、インドネシア人であり、ネグリイトであることも学者の等しく承認してゐるところであるし…帰化人のいかに多かったかを知ることができるし、日本は諸民族をその内部に取り入れ、相互に混血し、融合し、かくして学者の所謂現代日本民族が生成されたのである。」

「日本民族はもと単一民族として成立したものではない。上代においていはゆる先住民族や大陸方面からの帰化人がこれに混融同化し、皇化の下に同一民族たる強い信念を培はれて形成せられたものである。」

この2つの文章は、いずれも太平洋戦争中の1942年に発表されたものである。前者は総合雑誌の巻頭時評で、後者は文部省社会教育局が発行した本の一部だった。

ザックリと結論から言いますと、大日本帝国時代にアジア侵攻を正当化していた時には混合民族論-外部のものを取り込むことをよしとし、混血だからこそ日本人は強くて優秀なのである、という説-が主流になっていたようです。よって、単一民族論が主流になったのは敗戦後のこと。敗戦による国際関係への自信の喪失や「争いごと・面倒に巻き込まれるのはごめんだ」と、一国平和主義が強まり、自らの殻を閉じて内にこもる時には、「日本はずっと異民族抗争などのない農業民の平和な国家であり続けた」と自分に言い聞かせた、というように、日本人の自画像は国際社会に対するその時代の日本人の心理をダイレクトに反映したもののようです。要は、自己の都合の良いように、歴史と共に揺れ動いてきた、とというのが小熊教授の結論でした。

というわけで、日本は単一民族国家である、という人が何となく多くなったのは、たったここ50年ぐらいのことなんですねぇ。全然知りませんでした。(というか、自分が学校でどういう風に教わったかもう覚えていない…)

その他、私がこの本で面白いなぁ、と思ったのは、日本人の「民族意識」を、血の継続より「名前」の存続を重視する「イエ」制度と結びつけて考察しているところでした。

例えば、韓国では、結婚しても夫婦の姓は別々のままで、「○○さんの奥さん」であることよりも「△△さんの娘」であること、血のつながりの方が社会的に重要視されているけれど、日本では、ぜんぜん血が繋がってなくても養子になってそこの家の姓を名乗れば家族だし、「嫁」というのも、同じ姓を名乗って家族の仲間入りをしている制度です。しかも、中国では、血が繋がっている兄弟は、親が死んだら均等に財産を受け継ぐ権利があるそうですが、日本では、以前は、長男が全てを相続することになっていました。つまり、イエの中には序列があり、名前を改めれば仲間には入れるが、決して弟が兄を追い抜かすことはできないのです。そうでなければ、同化した外部の人は平等な日本人になるはずですが、この「イエ感覚」と同じノリが日韓併合の際にも引き継がれたため、内地と外地の間では序列が存在したのだと。

では、なぜこれほどまでに今日の日本に「単一民族神話」が強く定着したのか?

小熊氏は、「植民地化や分割はされなかったものの、世界規模の大帝国を築けるほどの先進国でもなかったという、この百年ほどの国際的条件」が、他の国に比べて均質性が高くなった最大の要因だと分析しています。

混合民族論を声高に主張し、アジアに侵攻し、朝鮮半島や台湾を支配した時代の反動から、過去の失敗に対して目を閉じ、単一民族論に逃げ込んだ日本人に対する小熊氏の提言は、「神話からの脱却」、つまり、自分は○○人だから他の民族より偉い、だから無条件に攻撃して良い、というような現実逃避をやめ、自分と異なるものと向き合い、理解する努力を続ける強さが必要だ、というものです。

今日の私達が「日本の常識」だと思いがちのことの大半は、実はけっこう高度成長以降でしか当てはまらないことだったりするよなぁ、と、改めて感じると共に、単純に、

歴史って面白い

そんなわけで、テーマも構成も骨太で、ぐいぐい読ませるこの本、私としては大変面白かったです。ここには書きませんでしたが、色んな学者(論者)が、なぜその説に至ったのか、といったところまで描いてあって、学者な方が読んでも面白いのでは。惜しむらくは、(おそらく小熊氏の学者魂・事実考証に賭ける熱い思いのなせる技なのでしょうが)裏づけや根拠のない単一民族論者に対して、若干感情的批判が強いように感じたところです。しかしながら、これが小熊氏の修士論文だと聞いて、その重量感に改めて感服したことを添えておきます。

やっぱり、「《民主》と《愛国》」もほしいなぁ…。

でもまぁ、2000年以上も外部からの混血がないだなんて、客観的に考えてもそれはないだろう、と思うし、弥生時代の渡来人やアイヌ民族の存在に加えて、太平洋戦争中に朝鮮半島から強制連行された人々の子孫(現在も特別永住者として50万人近くが存在:法務省の統計)が今も日本にいるのですから、どう考えても、純粋な単一民族ではありえないと私も思います。

以下は、私の深読みしすぎかもしれませんが、

新入社員は嫁にそっくりだ」(中根千枝という人が言ったらしい)

従来の終身雇用の日本の会社(といっても、これも戦後に限った話かもしれない)は、擬似的な生活集団という意味で、イエ社会なのかもしれないですね。上司は親、先輩は兄、だからいつまで経っても後輩が先輩を追い越すことはない、と。

名前より先に、まず社名や所属を明らかにしてから名乗る、という日本のビジネス社会の習慣も、イエ社会の名残と言えなくもないし、もしかして、「オトナ語」(会社によっては、その会社でしか通じない隠語もたくさんあると思う。私の会社にも勿論あります。)のような高度な社交技術の習得が求められること、も、一種のinitiationなのかもしれませんね。

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