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February 2004

Why Software Quality Stinks

CIO Magazine で調べものをしていたら、2003年12月1日号にたまたまソフトウェアの品質に関する記事があったのでメモ。

Why Software Quality Stinks

Cutter Consortiumというマサチューセッツのコンサルファームの行った調査(対象は、様々なインダストリにまたがる150社のソフトウェア開発組織)によると、


  • 自分の組織には適切なソフトウェア品質保証プログラム(Software Quality Assurance Program;以下SQA)がないと答えた人:38%
  • 品質上の課題を最後の最後まで残してしまっていると認める人:36%
  • 全くSQAがないと答えた人:17%

その理由としては、


  • シニアマネジメントは「自分たちのソフトウェアの品質は、改善の余地はあるが適当(Reasonable)だ」と考えている:53%
  • シニアマネジメントは「自分たちは高品質なソフトウェアを開発している」と考えている:30%

というわけで、この件に関してトップは概して関心が薄いようです。驚くべきなのは、「シニアマネジメントはソフトウェアに関して、開発組織と話し合わない」という人が11%も存在する、ということです。

それよりもっと驚いたのは、

自分たちの組織には全くSQAのプロフェッショナルがいないと答えた人:31%

まさか出荷検査してないとか、品質基準がないというわけではないと思いたいのですが。

ソフトウェアと一言で言っても色々ありますので、種類によって品質基準が異なるのはある程度致し方ないかなぁという気もしますし、この記事だけでは何とも言えませんが、会社(もしくは部門)として統一的に品質管理をしていない会社が3割もあるのだとしたらちょっと恐ろしいです。


ソフトウェアの品質は本当に悪いのか

今日は課題提起だけです。

いま私が読んでいる本」でも書いた通り、ソフトウェア産業の今後を予想する上で、製品開発や組織のあり方はどうなっていくんだろう、課題は何なんだろう、と、ぼんやり考えていました。製品の品質を改善するうえで、自動車産業に学べ、という議論を私自身もMake Software More Reliableというエントリで紹介したことがあり、日本でもけっこう話題になっているみたいなのですが、

そもそも、ソフトウェアの品質は本当に悪いのか?

について、少し考えてみたいと思っています。

今の時点で、私は、「いいのか、悪いのか、どの程度なのか、まだ業界として把握できていないので何とも言えないのではないか」という仮説を持っています。

ソフトウェアと自動車の比較において、MS製品の凄腕エンジニア黄昏さんという友人が、「自動車産業におけるJAFの存在」というGood Point を指摘しています。ここでは、自動車という製品が、究極的には「道路を走って、曲がって、止まる」という機能しかないということと対比させるには「ソフトウェア」と漠然と語るだけでは意味がないので、「パソコン(プリインストールのOSとパソコンのハードベンダが付加した機能・ソフトが入った状態)」との比較で考えてみたいと思います。

「JAFの存在」の意味をもう少し噛み砕くと、


  • 「自動車」という製品を構成する部品は「サプライヤ間の高度な摺り合わせが必要」と言われるが、完成品になってしまえば、何が問題なのか第三者でも切り分けが可能 → 使われる部品の種類と、各部品が果たす機能(インプットとアウトプット)が業界全体で標準化され、共有されている
  • トラブルシューティングや修理といったメンテナンス業務自体が商売として成立している

ということなのではないかと思います。また、(日本はどうか知りませんが少なくともアメリカでは)自動車事故は人命に関わるため、製造物責任の規制が厳しく、リコールや死亡事故の情報は公開を義務付けられることになりました(TREAD Act)。どの会社の自動車が、どういう事故を起こしたのか、それはどの部品が原因だったのか(OEM等の場合、自社の製品で直接事故を起こしたことがなくても、モノとして同じ部品を使っている他社製品が事故を起こした場合も報告の義務がある)会社として、業界としてデータが共有化されているというのは、品質を改善する上で重要なベンチマークになるでしょう。

それに対して、ソフトウェアはどうか? というと、業界全体としての品質の測定・統計というのは、私の知っている限り、まだ取られていないように思います。

また、トラブルシューティングや修理に関してですが、JAFを呼んで「金を取るのか」と怒る人はいないと思うのですが、パソコンのケアに関して、お金を払おうという意識はユーザー側にはないようです。(参考:日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会による「エンドユーザの有償パソコンサポートに対する意識調査」)

サポートできる技術者が足りないというのは、「儲からないから」というのがベンダの本音なのかもしれないと思いました。JAF含め、自動車のアフターマーケットの規模がどれぐらいなのか、今手元にデータがないので検証はできていませんが。

エンタープライズ向けのビジネスアプリケーション、特にメインフレームのソフトウェアであれば、メンテナンスが大きなビジネスになるので、ベンダは保守ができる技術者を囲い込むし、顧客も半ば仕方なく高いお金を払い続けてきたというのがこれまでのIT業界の構図ですが、「所謂パソコン」に関しては、これまではあまりクリティカルユースされていなかった、言い換えれば、半分オモチャとして位置づけられていたのではないでしょうか。

他には、プロダクトライフサイクルが短すぎて保守運用で十分な儲けを出してる暇がない、というのも理由に挙げられるかもしれません。某社のパソコンのマーケティングを担当している友人が「家電の類は新製品が出るのが年1度なので忙しい時期はある程度決まっているが、パソコンは3ヶ月に一度なので、年中忙しい」とぼやいていたのを思い出しました。

「イノベーションのジレンマ」ではないですが、パソコンの性能が消費者の要求を上回って、スペックだけで新製品がガンガン売れる時代が終わったら(ホントに終わる時が来るのか、確証はないです。これもそのうち少し検証してみたい)、パソコンも、アフターマーケットが重視されるようになり、保守エンジニアの層も厚くなるのかな、と、今は思っています。

ちなみに、「自動車とソフトウェア」って最近けっこう流行りなのか、AlwaysOnでもMorris Pannerという人が"The Wal-Mart of Software"という記事でオープンソースの潮流と絡めて、

Companies will devote every dollar to writing the best code. Open source, with its zero cost advantage—imagine building a car with free steel—will become a crucial competitive weapon.

などと語っており、アメリカのIT業界人はオープンソース礼賛派が多いのだろうか?(たまたま私の読んでる記事が偏ってるんだろうか)

高炉の制御システムとか、原子力発電所の制御システムをLinuxプラットフォームでやってます、なんて言われたらあたしゃ背筋が凍るね。

という我が夫の意見(オープンアーキテクチャ化のパラダイムシフトは自動車産業に訪れるのかコメントより)に同感してしまう私はやっぱり日本人、ということなのでしょうか。

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小熊英二「単一民族神話の起源」

最近、更新が遅くてすみません。「シリコンバレー在住日本人女性blog」と言ってくださる方もいるんですが、なにぶん私が勤めているのは日本企業なもので、ご多分に漏れず、年度末進行でバタバタしておりまして…。そんなわけで、寝る前に枕元に積んである本を少しずつ読み進めるのがblog更新の原動力となっている今日この頃です。

今日のブックレビューは、小熊英二「単一民族神話の起源 <日本人>の自画像の系譜」

最初に勘違いがないように念のために説明して置きますと、この本は、「日本人は本当に単一民族なのかどうか」を検証しているわけではなく、「日本人自身は、自分たちのルーツをどう考えていたのか。単一民族神話は、いつ・なぜ・どのように生まれたのか」 日本民族のアイデンティティに関する学説を検証したものです。

ずっと単一民族神話がメインストリームだったと思っていたものですから、この本の1行目から引き込まれました。あまりに驚いたので、ちょっと長くなりますが引用しますと、

「大日本帝国は単一民族の国家でもなく、民主主義の国でもない。否、日本はその建国以来単純な民族主義の国ではない。われわれの遠い祖先が或はツングウスであり、蒙古人であり、インドネシア人であり、ネグリイトであることも学者の等しく承認してゐるところであるし…帰化人のいかに多かったかを知ることができるし、日本は諸民族をその内部に取り入れ、相互に混血し、融合し、かくして学者の所謂現代日本民族が生成されたのである。」

「日本民族はもと単一民族として成立したものではない。上代においていはゆる先住民族や大陸方面からの帰化人がこれに混融同化し、皇化の下に同一民族たる強い信念を培はれて形成せられたものである。」

この2つの文章は、いずれも太平洋戦争中の1942年に発表されたものである。前者は総合雑誌の巻頭時評で、後者は文部省社会教育局が発行した本の一部だった。

ザックリと結論から言いますと、大日本帝国時代にアジア侵攻を正当化していた時には混合民族論-外部のものを取り込むことをよしとし、混血だからこそ日本人は強くて優秀なのである、という説-が主流になっていたようです。よって、単一民族論が主流になったのは敗戦後のこと。敗戦による国際関係への自信の喪失や「争いごと・面倒に巻き込まれるのはごめんだ」と、一国平和主義が強まり、自らの殻を閉じて内にこもる時には、「日本はずっと異民族抗争などのない農業民の平和な国家であり続けた」と自分に言い聞かせた、というように、日本人の自画像は国際社会に対するその時代の日本人の心理をダイレクトに反映したもののようです。要は、自己の都合の良いように、歴史と共に揺れ動いてきた、とというのが小熊教授の結論でした。

というわけで、日本は単一民族国家である、という人が何となく多くなったのは、たったここ50年ぐらいのことなんですねぇ。全然知りませんでした。(というか、自分が学校でどういう風に教わったかもう覚えていない…)

その他、私がこの本で面白いなぁ、と思ったのは、日本人の「民族意識」を、血の継続より「名前」の存続を重視する「イエ」制度と結びつけて考察しているところでした。

例えば、韓国では、結婚しても夫婦の姓は別々のままで、「○○さんの奥さん」であることよりも「△△さんの娘」であること、血のつながりの方が社会的に重要視されているけれど、日本では、ぜんぜん血が繋がってなくても養子になってそこの家の姓を名乗れば家族だし、「嫁」というのも、同じ姓を名乗って家族の仲間入りをしている制度です。しかも、中国では、血が繋がっている兄弟は、親が死んだら均等に財産を受け継ぐ権利があるそうですが、日本では、以前は、長男が全てを相続することになっていました。つまり、イエの中には序列があり、名前を改めれば仲間には入れるが、決して弟が兄を追い抜かすことはできないのです。そうでなければ、同化した外部の人は平等な日本人になるはずですが、この「イエ感覚」と同じノリが日韓併合の際にも引き継がれたため、内地と外地の間では序列が存在したのだと。

では、なぜこれほどまでに今日の日本に「単一民族神話」が強く定着したのか?

小熊氏は、「植民地化や分割はされなかったものの、世界規模の大帝国を築けるほどの先進国でもなかったという、この百年ほどの国際的条件」が、他の国に比べて均質性が高くなった最大の要因だと分析しています。

混合民族論を声高に主張し、アジアに侵攻し、朝鮮半島や台湾を支配した時代の反動から、過去の失敗に対して目を閉じ、単一民族論に逃げ込んだ日本人に対する小熊氏の提言は、「神話からの脱却」、つまり、自分は○○人だから他の民族より偉い、だから無条件に攻撃して良い、というような現実逃避をやめ、自分と異なるものと向き合い、理解する努力を続ける強さが必要だ、というものです。

今日の私達が「日本の常識」だと思いがちのことの大半は、実はけっこう高度成長以降でしか当てはまらないことだったりするよなぁ、と、改めて感じると共に、単純に、

歴史って面白い

そんなわけで、テーマも構成も骨太で、ぐいぐい読ませるこの本、私としては大変面白かったです。ここには書きませんでしたが、色んな学者(論者)が、なぜその説に至ったのか、といったところまで描いてあって、学者な方が読んでも面白いのでは。惜しむらくは、(おそらく小熊氏の学者魂・事実考証に賭ける熱い思いのなせる技なのでしょうが)裏づけや根拠のない単一民族論者に対して、若干感情的批判が強いように感じたところです。しかしながら、これが小熊氏の修士論文だと聞いて、その重量感に改めて感服したことを添えておきます。

やっぱり、「《民主》と《愛国》」もほしいなぁ…。

でもまぁ、2000年以上も外部からの混血がないだなんて、客観的に考えてもそれはないだろう、と思うし、弥生時代の渡来人やアイヌ民族の存在に加えて、太平洋戦争中に朝鮮半島から強制連行された人々の子孫(現在も特別永住者として50万人近くが存在:法務省の統計)が今も日本にいるのですから、どう考えても、純粋な単一民族ではありえないと私も思います。

以下は、私の深読みしすぎかもしれませんが、

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ナレッジ・ビジョナリーな会社のワーキング・ルール(ウォルト・ディズニーの場合)

"No Criticism allowed."

誰かが何か新しいことを始めようとしたときに、皮肉なことを言って、人のやる気を削ぐのはやめよう、という意味だそうです。
イノベーション・カンパニー」で野中郁次郎が引用していました。

頭の良い人ほど、あれこれと批評するものの、本当に大切なのは「どうすればできるか」を考えること、と思えば、この言葉は自分自身が大事にいつも机に貼っておきたいぐらいです。というわけで、blogに書いておきます。

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たいへん読書家な方が、去年日本に帰国するのにあまりに本が多くて持って帰れない、というので、かなりの量を捨てた後残った一財産が友人の家に預けられていたのですが、「とりあえず全部預けるから、この中でどれが面白かったかまた後で教えて」と貸してくださいました。こんなにたくさんの本!しかも、頭のいい人から本を貰えるなんて、活字中毒の私にとってはよだれが出るような贅沢です。

とりあえず、ぱっと見て今読みたいなと思ったのを数冊抜き出した中の一冊が、「イノベーション・カンパニー」だったのでした。

そんなわけで、いま私の愛車のトランクは「移動図書館」状態になっています。本以外の物が入りません。


突然の退職勧告~ある商社マンの生き様

「このようなことを言うのは忍びないが、君はうちの会社に向いていないんじゃないか. 君はまだ若い。次を考えた方がいいと思う。」あなたは、突然このようなことを言われたらどうするか?私は9月のある日、日比谷の焼鳥屋で上司からこのようなことを言われた実際の人間である。ここに書きつづられていることはすべて事実だ。私は、このショッキングな事実を、コンサルタントというイメージに憧れる学生と、転職を考えている社会人に送りたい. (FRI & Associates 代表・河合 拓)

「会社に依存せずに生きる」

という言葉は、格好良く、誰にとっても憧れのものですが、実際に会社に依存せず生きることは大変難しいことだと思います(自省も含めて)。「退職勧告」という、日本企業戦士にとっての危機に、一般的に不利と思われる「転職適齢期」を過ぎ、養う家族を抱えたある1人の男はいかに立ち向かったのか。彼が退職勧告を受けてから行く末を定めるまで、リアルタイムで送信されていたというメルマガには、緊迫感とリアリティが溢れています。

筆者・河合 拓さんについて少し紹介させていただくと、「触っただけで素材の組み合わせと割合を当てられる」腕っこきのアパレル商社マンから、大手コンサルファームのコンサルタントに華麗なる転身を遂げたという、異色の経歴の持ち主です。

「クールな頭脳と熱いハート」という言葉が彼以上に似合う男を私は知らない。

(こんなことを書くと私の夫が嫉妬しそうですが、夫よ、貴方には違った良さがあるので、それについてはまた別途、家庭内で話し合いましょう。)

河合さんが並みのコンサルタントとかけ離れているのは、クールでありながら、なおかつ、語りたいもの・語れるものを持ってポジティブなスタンスで物事に接し続けていることです。論理的な文章を書く人は大抵感情表現がニガテで、感情が迸る人の文章は飾りが多くて言いたいことが何かよく分からない、というパターンにはまりがちですが、河合さんの文章は分かりやすく、なおかつ人間味に溢れています。コンサルタントとして活躍しながらも、営業マンの気概と心意気を失わない彼に敬意を表してあえてタイトルは「商社マン」とさせていただきました。(私の中では、商社マン=King of 営業マン なので)

そんな彼も、転職後数年経って、自分の得意とする分野と会社の要求するスキルがかみ合っていないことにジレンマを感じ、苦しんでおられたようです。

学生や若手社会人のみならず、文字通り世界を股に掛ける人たちを多数ファンに持つ彼が、冒頭の言葉を尊敬する上司にぶつけられて決意を固め、転職活動に臨み、いかに失敗しそして成功したか。悔しさや無念、憤り、不安。アンビバレントに揺れ動くこころを、ここまで率直に、結果も出ていないのに語り続ける彼を、これを読んだ人は応援せずにはいられようか(いや、いられまい) もう結末が気になって、全部で30枚以上(Word)と思われる大作ですが、息も付かずに一気に読んでしまいました。

有料コンテンツなのですが、どうしても、私が一番心を動かされたところだけは!!というわけで少しだけ引用しますと、

しかし、私のその言葉(Tomomi注:政策提言までしたが、大前氏に「繊維業界について考えるのはムダ」と言われ、アパレル関連での戦略の仕事を諦めることにしたとのこと)を聞いて、そのパートナーは逆上したのである。「大前研一に言われたぐらいで、お前は自分の夢を捨てるのか?彼は戦略家だよ。そういうに決まっているじゃないか。でも、実際、今でも繊維業界で働いている人だっているんだ。そんなふらふらした気持ちだから、システムをやらされたりするんだよ。自分自身のやりたいこと、できること、なすべきことが明確でないから、不幸な人生をおくるんだ。だから、だらだらうちみたいな会社にいるんだ」と。

私はぐうの音も出なかった。彼の言うとおりだった。FRIで学生に、自分の進む道を明確に持てと言っておきながら、周りの環境に振り回され、得意でもないシステム開発をずるずるやっていたのだ。そして、気がついてみたら30半ばだ。一体自分はなにをやっていたんだろう。時間は有限だ。私の得意な分野に特化していれば、自分にとっても、そして、ひょっとしたら、クライアントにとっても良い結果がでていたのかもしれない。そのパートナーの言葉はまさしく「退職勧告」だった。しかし、私は彼の気持ちに感動し、目頭が熱くなっていた。

自分の今やっている仕事に対して「これでいいんだろうか」と感じている。でもどうしたらいいのか分からない。いま退職勧告なんかされたらどうしよう。

こんなことを感じている全てのサラリーマンにオススメします。なお、まぐまぐプレミアムでは月別でバックナンバー購入が可能ですので、河合氏の転職劇の全貌を読みたい方は、9月分~11月分の購入で全てが読めるようです。もちろん、これを機にメルマガを購読するぞ!という方もMore than welcomeです。

※以下はFRI関連の宣伝なので関心のある方お読みください

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いま私が読んでいる本

随分たくさんの本が机に積みあがっているのだけれど、それぞれ、読もうと思った理由もあるし、裏にある課題意識は一つに結ばれているような気がしています。「なぜ読むのか」「そこから何を得たいのか」自分の頭をスッキリさせる意味でも、リストを以下に列記しておきます。

まず、今日の勉強に繋がる発端は、JTPAのイベントでの東恵美子さんのコメント:M&Aの成功を測る指標は、株価がいかに上がったかであり、Wall Streetは「遅くとも1年以内に成果が出るかどうか」で判断する でした。今日の企業経営に対して投資家が大きな影響力を持っていること、短期間でリターンが得られることが重要になっていること、を感じると共に、

企業組織が長く続かなければいけないという前提は正しいのか?そもそも今日の企業の寿命はどれくらいなのか?企業統治の理想的なあり方とは?

と考えるようになりました。

そこで、史上最大の版図と1,000年以上の寿命を保ったローマ帝国はなぜ巨大になり、そして滅びたか にヒントがあるのではないか、と、エドワード・ギボン「新訳ローマ帝国衰亡史」を読んだりしました。(参考:私のギボンレビュー)90年代後半以降、米国企業の生産性は急激に伸びていますが、反面、労働時間は短くなり、失業率も下がらない、Jobless Recovery 現象が注目を浴びていることに、ローマ帝国爛熟時代の「パンと見世物」を連想したこともあります。「アメリカはこれからどうなるのか」もギボンを読んだ理由の一つでした。

ローマ帝国が滅びた直接的な理由は、イスラム勢力に敗北したからですが、では、今日の成功した企業にとってのイスラムは何なのか? クレイトン・クリステンセン「イノベーションのジレンマ」では、優れた企業が失敗する理由を「破壊的イノベーション」という概念を用いて鮮やかに切り取って見せました。(参考:私の「イノベーションのジレンマ」レビュー

クレイトン・クリステンセン「イノベーションへの解」

ある製品や技術が、顧客の求める性能・品質を上回った時、破壊的イノベーションは起こる、というのがクリステンセンの発見した法則ですが、同時に、破壊的技術は、実は既存の成功企業の中から生まれてきていることも指摘されています。では、どうすれば従来のリーダー企業は破壊的技術がもたらす市場の変化にキャッチアップすることができるのか?と誰もが抱く疑問に対して、破壊的イノベーターとして成功した企業の観察に基づいた法則が描かれているようです。

また、ソフトウェア産業は、まだ品質の保証という点で課題が多い、といわれ、品質の改善という点では自動車産業に見習う点が多い、という記事を紹介したことがありますが(参考:Make Software More Reliable)、ソフトウェアと自動車は、製品の設計思想(アーキテクチャ)が異なるとの鋭い指摘をSWさんから頂きました。実際、異なるアーキテクチャの製品市場で成功するためには異なる組織能力が必要とされるという議論が、今日 経済学や経営学で脚光を浴びているとのこと(経済学者の友人の談)。ソフトウェアは、モジュール(もしくは部品)間のインターフェースが公開され、相互の独立性の高い「モジュラー型」、自動車は部品間の依存度が高く、サプライヤ・機能間の摺り合わせが全体としての高性能・高品質を実現する「インテグラル型」とされているそうですが、このモジュラリティ概念をもう少し掘り下げて勉強したいと思い、以下の2冊を読んでいます。

R・ボワイエ、P-F・スイリ 編「脱グローバリズム宣言」
青木昌彦・安藤晴彦 編著「モジュール化」

私はSIerに勤務しているので、IT業界の今後が気になることは言うまでもありませんが、色々な産業のクライアントに対して調査レポートを書くような仕事もしております。ですので、他の産業にも関心があります。そこで、

Boutellier, Gassmann, von Zedtwitz "Managing Global Innovation"
藤本隆宏「能力構築競争」「成功する製品開発」

特に、日本企業が強みとする自動車製造企業がなぜ成功したのか、その他の産業では何がカギなのかについてHi-levelの知識と示唆が得られればと思っています。

それから、(これは特に私が外国に住んでいるから強く感じることかもしれませんが、) 日本人とアメリカ人や中国人では何かが違う、ということです。留学や駐在を通じて、私自身が勤める会社の採用活動に関わったときに、日本の大企業に勤めるような新卒学生は極めて均質性が高い(アメリカに比べると)ということが分かるようになりました。日本が単一民族国家である、という認識は間違っていることを理解してはいますが、日本は「均質性が高い」「単一民族国家だ」と何となく思っている人が多いのはなぜか、いつからなのか、そもそも日本人とは何なのか、と考えるようになりました。イラク戦争に対する自衛隊派遣のニュースにも、日本人として色々感じるところがありました。

小熊英二「単一民族神話の起源」

これもまだ読んでいる途中ですが、日韓併合やアジア侵略を正当化するロジックとして、「日本と朝鮮半島は元々民族として同じである」「日本は多民族混血だから強いのである」とされていたそうで、自分が受けてきた歴史教育では全く触れられていなかった事実に驚くばかりです。

その他には、経営論や組織論を勉強するのであれば、なぜそのような理論が登場するようになったか、背景や、前後の文脈を理解する上で歴史を勉強すると良い、とのアドバイスを黄昏さんから頂いたので、

スチュアート・クレイナー「マネジメントの世紀 1901-2000」

こちらはサラッと流し読みですが、前後関係が理解できるとかなり頭がスッキリしますし、それぞれ、同時代のエクセレント・カンパニーがどこだったか、リストも付いているので、理論と実世界のリンクも取りやすく、良い本だと思いました。

S・I・ハヤカワ「思考と行動における言語」

P・ドラッカーは、全ての経営者は言葉の使い方を学び、訓練すべきである、みたいなことを言ったそうですが、「なぜ私の話は通じないのか」「どのような時、どう言えば話は通じるのか」日々の中で感じる疑問について考える時、ヒントが得られる本です。


新居よりご挨拶

昨年11月にIntranet向けに会社でもblogを始め、Movable Typeの操作性の良さに魅了されたので、このたびTypepadに引越しました。
※ご参考:以前のblog
http://www.myprofile.ne.jp/vietmenlover+blog

とは言え、私のアイデンティティ「ベト麺lover」も、屋号も存続し、当面は編集方針もこれまでどおりのつもりでおります。

今後ともどうぞ宜しくお願いします。